坂本サカモト乙女オトメ部屋ヘヤ
『 おばあちゃんは ここぞね 』
表題は、祖母岡上菊栄の顕彰碑に刻まれている。   
この碑は高知県土佐山田町の神通寺にある児童養護施設
「博愛園」の園庭に立っている。3b弱の仙台石で主石
の上部に菊栄のキリっとした顔がレリーフとなっていて、
その下に表題の言葉が、大野武夫氏を始めとする発起人
によって刻まれている。小生が朧気ながら思い出される
のは、高知城近くの高知博愛園ではないか。極薄い記憶
の中では戦前の園と高知大空襲後の焼け跡に復興した園
を訪ねた覚えがある。所在は本町から小石木、西広小路、
東久万と高知大空襲を前後して市内を変遷したらしく、
今の香美郡土佐山田町神通寺には昭和41年新築移転し
ている。この顕彰碑も東久万から現在地へ移設されたの
であるが、小生はまだ一度も訪ねたことがない。
でも、この碑銘については子供の頃から耳にしてきたが、       
どこにあるのか知らなかったのである。かなり後年に知ることになった。祖母没後2年後の昭和249月1日に建てられている(当時小生は9歳)。祖母菊栄のレリーフは島村治文氏によって彫られている。因みに同氏は桂浜の坂本龍馬像の製作助手であり、小生の小学1年生時の担任島村 綾先生の父上でもある。
 同園は平成15年三月下旬、37年ぶりに園舎を新築した。6月8日には新築落成記念式典並びに高知慈善協会120周年記念祝賀会が催された。今後は土佐へ帰る機会も多々あることだろうから、機会をみて訪れたいと思っている。
 「おばあちゃん」・・博愛園々母となった後、いつからかこう愛称されるようになったという。
小生からすれば、紛れもなく「おばあちゃん」だが・・。
当時、こうした養育の場所では「お母さん」「お父さん」
が一般的だという。「おばあちゃん」は奇抜で珍しいら 
しい。一説には、小生の従姉 吉川雅子(旧姓浜田:高知
県本山町在住)が幼少の頃、こう呼んだことに始まるとも
云われる。祖母の思いは自身の書いた【三十余年の懐古】
の文章に綴られている。「いつごろからか、私のことを子
どもたちはおばあちゃんと呼び始めました。 
おばあちゃんと言うのは今では私の固有名詞でございます。
どこへでも博愛園のおばあちゃんで通るのでございます。
私は先生ではなく、子ども等の肉親なのでございます。子
ども等のお世話いただく国民学校の先生方も、市場の主人
も、私をおばあちゃんと呼ぶのでございます。」
言葉の響きからは角張った固いところはなく、丸くて柔ら
かいものが伝わってくる。すべてを受け入れてくれる懐の  
深さ、優しさである。小生が知る祖母も凛として姿勢を正
し、正座して刺繍するその姿であるが、傍らでその手元を見る小生への眼差しは優しさに満ちていた。だから、園児たちの心に、構えのない、自然な、甘えられるという安心感を抱かせたことであろう。
 祖母菊栄は慶応3年(1867年)9月5日出生。父岡上樹庵(新甫)、母岡上乙女(坂本)の長女として出生。身長155cm、体重40kg 乙女似ではなく、樹庵のDNAを引き継いでいるようだ。しかし、明治の女性平均身長は146cmだから、ごく普通の体格である
若き日の祖母は武士道にならった精神と身体を携えていた。小太刀、懐剣、手裏剣、薙刀、柔道、騎馬、水泳ができ、亦1絃琴、三味線、踊り、歌詠みなどもすべて乙女の養育で鍛えられている。
若き日の祖母は武士道にならった精神と身体を携えていた。小太刀、懐剣、手裏剣、薙刀、柔道、騎馬、水泳ができ、亦1絃琴、三味線、踊り、歌詠みなどもすべて乙女の養育で鍛えられている。
亦乙女は祖母によく絵を描いてくれた、特に日本や世界地図を画いて色付けしてくれたという。
すでに乙女には西洋観、世界観があり龍馬にも伝授されていた筈である。
もし乙女に会って聞くとすれば「あたしゃなんちゃしやせんぞね。したいようにさせただけどね。」と笑い飛ばすことだろう。だがそうではない大きな影響を与えている。それも二人の人間に。しかも男女一人づつ、自身の弟と娘にである。
乙女は口癖のように祖母菊栄に云っていた。
私の教育はみんなお前を男に仕立てることばかりで、
女のお前には合点が行くまいが、今その理由を話して
やろう。一体男のすることで女に出来ぬものは何ひと
つない。それが女に出来ないのは、女は男に叶わぬも
のとして、昔からそれをやらせなかったからだ。いずれ
男女同様の仕事をする時がくる。そのとき女は家庭では
男に従うべきも、社会へ出て対等の場合は婦人も男子と
競争せねばならぬ。今私がお前に教えるのは、そのとき
のためぞね」厳しくも明快である。乙女は明治の夜明け、
すでに男女同権、男女共同参画の世を見抜きつつ、古来
よりの武士道教育を、文明開化の世の中に堂々と実践し
ている。その養育を受けた祖母は、当時の園児や関係者
の証言から要約すると「立ち居振る舞いにはそつがなく、
いつも古武士のように凛としていた。背筋を伸ばし動き
方もしゃんしゃんとしていた。」「ピリッとして怖いです
きにねえ。とにかく凛としていた。でも、怒ったりしない。
なんでもそうかよ、そうかよと聞いてくれる。眼差しは優
しく、慈愛に満ちた目をしておりました。」
祖母菊栄のキーワードといえば、『口の人になりな 心の人になりよ』これに尽きる。
この言葉を、いつどんな場所で言ったのかはっきりしていないのだが、当時の関係者島田 久先生の話では、日常会話の中で自然に祖母が漏らした言葉のようである。『口の人より心の人になりなさいよ』といったようだ。もうひとつは武田 紀先生二代目園長就任時の逸話である。このことについては、養育の精神として伝授されているが、ここでは割愛する。
『口の人より心の人として生きる』口先できれいごとを言うより心のまま、誠実に生きて行く。
それがどんなに険しく苦しい道であっても『口の人になりなさんな、心の人になりなさいね』身近な人に語っているこの言葉が、祖母菊栄の心の姿勢であったということが出来る。
これは菊栄自身に言い聞かせ、身をもって歩んだその歩み方であったのだろうと思う。そしてそれは自身の子ども共々、園児や身近な人々に身をもって伝授されている。取りも直さず乙女の養育から身に叩き込まれた、いわば菊栄の生きる哲学である。『心の人』ことに菊栄の養育にはこのひと言が光を放つのである。(文責:岡上汎告)
 
 
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