山縣大弐
幕末勤皇思想の源流

1725〜1767

 幕末をさかのぼる事100年ほど前、吉宗政治の末期、当時としては画期的な本が出版された。題して『柳子新論』内容は、四民平等・皇室崇拝・朝廷政治の復権を弾圧覚悟で世に問うた。 幕末の勤皇思想の始まりであります。著者は甲斐の国巨摩郡篠原村(現在の甲斐市篠原)出身、『山縣大弐』といいます。

 『大弐』は、政治というものは、常に人々の幸せを心から願う者が行わなければならない、という考え方をもっていました。
 それは、小さくは市・町・村、大きくは国家・世界を誰がおさめようと真に万民のしあわせを希求する為政者でなければならないという事で、単に権力者のたらい回し、体制派から反体制派へという権力の移行、イデオロギーの変革だけでは、人々の幸せはありえないとといているのです。
 これを実現するためには、百、二百年それ以上にも及ぶ、長期的な展望をもって、命はもちろん、その志を継ぐ者にまで、命を捧げなければならないと説いています。
 この偉大な『大弐』の思想は、蒲生君平・宇都宮墨林によって、吉田松陰に多大な影響を与え明治維新の先駆けとなった。単なる革命思想ではなく、人民が最っとも貴く、次が社稷、君主はそれ以下という人民主義的な思想であると言えるのです。幕末を語るとき、必ず、『山縣大弐』を語らなければ、根元のない勤皇思想の空論といえるだろうと思うのですが?。
                                                 N・Nakazawa
 

推考歴史の導火線  山縣大弐と龍馬の接点を探る第1回

 
推考歴史の導火線  山縣大弐と龍馬の接点を探る第5回
推考歴史の導火線  山縣大弐と龍馬の接点を探る第3回

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推考歴史の導火線  山縣大弐と龍馬の接点を探る第2回